ダメやる!

駄目でもやる、そんな人がよわーい電波を発信しています。

フリーランスとして生きていくということ

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こんにちは、ダメやる@dameyaruです。
このブログを読んでくださっている方は、どのような方でしょうか?社会人、学生さん、無職の方、病気療養中の方…ほかにもいろんな境遇で暮らしている方が訪れてくださっているのだと想像しています。
今日は、フリーランスであるダメやるが、その生活とちょとした考えをお伝えしたいと思います。

フリーランスという選択

みなさん、フリーランスというとどんなイメージがありますか?
毎日決まった時間に会社にいくこともなく、どこでも好きな時に仕事ができる、とにかく自由、みたいな印象ですかね。最近だとスタバでMacを開いてドヤ顔みたいなイメージがあるかもしれません。(残念ながら、ダメやるが住んでいる田舎にはドヤ顔できるスタバはありません。)

フリーランスとして生きていくということと大げさなタイトルをつけていますが、わたし自身が自己紹介する時には積極的にフリーランスとは言えないんです。 それはなぜか、そもそもフリーになったのは自分の意思というより成り行きで仕方なくそうなったというのが本音なんです。(最終的には自分が決めたのですが…)

決して、これがやりたいだとか、明確なビジョンを持ってフリーになったわけではないんですね。 ネガティブな選択、はっきり言ってしまえば、消去法で残った道がフリーランスであったと、そういうわけなんです。

あるフリーランスの日常

わたしの仕事はPCを使った何でも屋さんみたいな仕事です。(本当はこれという武器があった方がいいんでしょうけれど、いまは浅く広くなんでもやっています。 )
ただ、フリーランスの実際(お金)でも言いますが、なんでもやることとなんでも仕事を受けるということはまったく別ですよ。意外に思うかもしれませんが、なんでも仕事を受けていたら、一人仕事、フリーランスではやっていけません。

で、わたしの一日なんですが、わたしの場合、仕事がある時とない時では極端に生活リズムが変わります。

仕事がある時は、とにかくタイトなスケジュールで、休みなしで何週間もぶっつけで仕事に取り組みます。というか仕事に追いまくられます。 とにかく締め切りを守って納品しないことには一円のお金にもなりませんし、仕事に穴を開けたらそのクライアントからは、次の仕事は絶対こないのが当たり前ですから。

逆に仕事がない時は、とにかく怠惰な生活になってしまっています。これは、フリーランスだからというよりわたし個人の資質の問題なんですけれど、スイッチが切れたように無為な日々を送る、そんな生活になってしまっています。

目先のお金になる仕事には全力を尽くすけれど、自分自身から積極的に仕掛けられていないというのが今のわたしです。

今やっている仕事が、いわゆる営業だとか、マーケティングに向かない仕事なので、余計に消極的になってしまうということもあるんですが、こんなんじゃいけないという思いもあって、とりあえずブログを始めたということもあるんです。
このブログから直接仕事が入るとは思ってはいませんけれど、とにかく自分から発信することの練習になるんじゃないのか、一番にそんな思いがあるんです。

フリーランスの実際(仕事)

わたしの場合、サラリーマンだった頃は仕事があろうがなかろうがとにかく会社に行って決まった時間会社で過ごす。(決まった時間と言っても定時という意味ではないですよ、むしろ今の基準で言えば完全にブラックな環境ばかりでしたから、かなりの長時間です。) どんなに体やこころの調子が悪くても、ひとまず会社という空間に身を置けば、それだけで世の中から取り残されている感がやわらいだのを思い出します。意味が無いことろは思ってましたけれど、他人以上に一生懸命仕事には取り組んでいました。

一方、フリーランス、特に自宅と仕事場が一緒という場合は、わたしの経験上、かなり意思が強かったり、よほどの工夫をしないとすぐに仕事とプレイベートの区別はなくなってしまいます。
仕事と自分の好きなことや趣味がリンクしている場合を除けば、食べていくための仕事とプライベートを一つの空間で過ごすというのは想像以上に苦痛です。 都会で暮らしている方の場合、あの猛烈な通勤ラッシュを毎日乗り越えて会社に行かなくていい、ということだけでもストレスは少なくなると思いますが、仕事がないときは、あれだけいやだった毎日の通勤でさえ懐かしくなるのが人情です

それにわたしの仕事の場合、毎月決まった仕事があるようなものではなくて、1つの仕事で何ヶ月分かの生活費を稼ぐ、という感じなので、仕事がないときはほんと全くないんです。つぎの仕事が決まっていればそうでもないんですが、仕事がないとあと何ヶ月、何日で生活できなくなるというのがはっきりわかるんです。この恐怖、プレッシャーにはなかなか慣れません

仕事がないことのプレッシャー、ストレスというのはサラリーマンの時に感じるプレッシャーとも違う、大げさに言えば、生存に関わる大きなプレッシャーですからね。(まぁ、仕事は、なければなかったでなんとかなる、というかなんとかすることが出来なければフリーランスではやっていけないと思いますけれど…)

かといって、なんでも仕事を受けてその不安を紛らわすというのは、当面の不安は紛れますけれど、結果的に自分の価値を下げて余計食えなくなる、そんな悪循環を生んでしまうので、絶対に避けなければならないことなんです。(フリーランスの方ならほんと実感してもらえると思いますが…)

フリーランスの実際(お金)

確かにフリーランス、個人事業主ということになれば、仕事に関する費用は経費になりますし、いくらか自由にお金を使えるということはあるんですけれど、それ以上に出ていくお金も結構多いんです。

それに社会保障、健康保険とか税金に関していうと、今のわたしの規模だと確実にサラリーマンでいたほうがお得です。仕事の内容にもよりますけれど、わたしみたいな原価のほとんどかからない仕事でも、貰っていた給料の2倍とはいわないですけれど5割増しくらいの売り上げがないと生活レベルは確実に落ちますね。

自分で言うのもなんですが、お金の管理については、わたしはかなりしっかりしています。あ、お金の管理といっても細かく経理をするという意味ではなくて、いい意味でのどんぶり勘定ができるという意味で、その点では自分自身は出来ているなぁと。

もし、このどんぶり勘定ができない人がフリーランスや会社を起こすとお金に関して必要以上に苦労すると思います。
たとえば、サラリーマンで決まった日に決まった額の給料が入ってくるという生活のときでさえ、いちいち家計簿をつけたり、奥さんに管理して貰わないといけないという人は、ひとを雇わずに一人で仕事をやっていくにしてもいらない心配をすることになります。(別に家計簿をつけることが無駄だといっているわけではないですよ、むしろつけた方がいいと思っています。でもそういうことをしなくても自分一人や家族の家計ぐらいはいつでも大まかに把握できているのが普通だと思うんです。)

それと一番重要なお金に対するセンス、金銭感覚と言うのは、たぶん大人になってからでは身につかないと思います。
確かに金銭に関する知識や管理方法は大人になってからでも、と言うより、多くの人は大人になってから身に付けようとしますが、根本的なセンスというのは、大人になるまでの生活環境、もっとわかりやすく言えば、サラリーマンの家庭だったか商売人の家庭だったかで決定的に決まってしまうものだと感じています。

これは、サラリーマンの家に育ったらサラリーマン以外の仕事ができなくて、商売人の家に育てば自分で仕事ができるという簡単なことではないんですけれど、なんというかサラリーマンでも(お金に限らず)商売人的な感覚を持っている人と会社を興してどんなに事業を大きくしてもその考え方の根本がサラリーマンのそれから抜け出せていない人というのは、みなさんも心当たりがあるんじゃないでしょうか?

まとめ

フリーランスについて、自分の体験とそこから得られた実感というか考えをいくつか書きましたが、これからフリーになろうという方のちょっとした参考になれば、ちょっとうれしいです。

サラリーマンを辞めてフリーになったり会社を興そうと決めている方、まだ迷っている方、その選択に正解なんてなくて、その時の自分が精一杯考えて行動したことだけが経験になるわけで…
人から誘われようが、他人に強要されようが、たったひとつの事実は、最後に決断したのは自分ということだけですから。(最後の言葉ははダメやる!自身に言い聞かせるものです。)

では、また・・・

ちまたで有名な?大川竜弥さん、このブログに初登場です。